隊友ファミリーに奉仕するOB・OG集団

●2020年3月〜4月:「お花見」

 

今年は暖冬の影響で、

桜の開花が例年より早くなりそうです。

 

新型コロナウイルスの影響次第では、

お花見会などはできないかも知れませんが、

せめてご近所の桜などを愛でながら、

春の訪れを楽しんではいかがでしょうか。

 

 

知っておきたいお花見の由来と歴史

 

 

日本人にとって、
桜はただの花ではない
特別な花です。

 

「お花見」とは、
どんな花でもいいというわけではなく、
桜でなくては意味がありません。

 

お花見は
日本人独自の風習として
海外にも知られていますが、
お花見はいつ、
どのような理由で始まったのでしょうか。

 

お花見の起源と歴史を調べてみました。

 

 

私たち日本人が持つ
桜への想いはどこから来るのでしょうか。

 

日本人の桜好き、古代日本の神が起源?

 

日本人はなぜ桜を愛するのでしょうか。
その歴史は
古代神話以前にまでさかのぼります。

 

八百万の神の中に、
山や田の神「サ」神が存在しました。

 

「クラ」とは神が鎮まる座を意味し、
サ神が
その根元に
鎮座したとされる木を

 

「サクラ」

 

と呼ぶようになったということです。

 

サ神を信仰する古代の農民は
桜の木に供え物をし、
豊作を祈り、
宴を行いました。

 

 

この行為は
遺伝子として連綿と受け継がれ、
日本人が
無条件で桜を好む理由の1つに
なったのではないかと考えられています。

 

呪術的行事から貴族の優雅な行事に
古代では
呪術的要素が強い
桜の木の下での宴が、
奈良時代には
花を楽しむための行事と変化しました。

 

「万葉集」には
桜を詠んだ歌が残されており、
当時の貴族が桜を好んでいたことがわかります。

 

平安時代になると
桜の人気はさらに高まりました。

 

「古今和歌集」の春の歌は
ほとんどが桜を歌っており、
「源氏物語」でも
宮中での華やかな宴の様子が記されています。

 

 

花といえば桜、
というイメージが定着したのも
この頃と考えられています。

 

武士も花見!
あらゆる階層に広まった鎌倉時代

 

鎌倉時代に入ると、
貴族の楽しみであった
桜の下の宴は
あらゆる階層に広まり、
武士や町人の間でも行われるようになりました。

 

京都の寺社や
山々に山桜が植えられたのも
この時代といわれています。

 

ソメイヨシノが誕生
明治以降全国に広まる

 

江戸時代、
お花見は
庶民の娯楽として定着し始めます。

 

江戸後期には
染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が、
エドヒガンとオオシマサクラの交配種
「吉野桜」を作りました。

 

後に、
奈良・吉野山の山桜との混同を避けるため、
「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになりました。

 

ソメイヨシノは
明治以降、
沿道や河川敷、
公園、学校などに植えられ、
全国に広まりました。

 

ソメイヨシノは、
今では
日本人のアイデンティティ
といってもよいほどの存在となっています。

 

一斉に花を咲かせ、
あっという間に散りゆく姿を惜しむように、
日本人は今年も桜の木の下で宴をするのです。

 

寿命が心配?
お花見よ永遠に!

 

 

ソメイヨシノは成長が早い分、
寿命も短いといわれています。

 

近年の環境汚染によるダメージから、
深刻な病気も発生しています。

 

種子ではなく、
人の手による接ぎ木で増やすことが
病気を広げるとの見方もあります。

 

現在お花見会場となっている
ソメイヨシノの並木道にも、
もしかすると
寿命が近づいているかもしれないのです。

 

 

山桜、八重桜、吉野桜、
桜の品種は数々ありますが、
やはりお花見は
ソメイヨシノの木の下でしたいものです。

 

お花見文化を
後世に伝えるためにできることは何か。

 

今年は
そんなことも考えながら
お花見を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

出典:「ぐるなび 」(https://r.gnavi.co.jp/sp/hanami/hanami_10.htm">https://r.gnavi.co.jp/sp/hanami/hanami_10.html">https://r.gnavi.co.jp/sp/hanami/hanami_10.html)

 


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