●2018年:年末 しめかざり
意外と知らない!
しめ飾り・しめ縄の意味や種類・飾り方・飾る時期
おなじみのしめ飾り(注連飾り)には、どんな意味があるのでしょう?
しめ飾りをみていると、
お正月だな〜と感じませんか。
でも、よく見てみると不思議なかたちをしています。
しめ飾りやしめ縄(注連縄)には、
いったいどんな意味や由来があるのでしょう?
また、どんな種類があり、飾る時期はいつなのでしょう?
飾る場所、飾り方、処分はどうしたらよいのでしょう?
しめ飾りの意味を知ると、
飾る際のやる気もやり甲斐も違ってくるはず。
今回は、
しめ飾り・しめ縄(しめ縄飾り)の意味・由来や種類、飾り方、
飾る期間や処分の仕方などについて解説します。
目次
● しめ縄・しめ飾りの意味と由来
● しめ縄・しめ飾りの種類と飾り方・飾る場所・向き
● しめ縄・しめ飾りを飾る時期
● しめ縄・しめ飾りを焼く日、捨て方
● しめ縄・しめ飾りの意味と由来
しめ飾りは、神社がしめ縄を張りめぐらせるのと同じ理由なんですね
そもそも正月行事というのは、
年神様という新年の神様をお迎えするための行事です。
年神様は家々にやってきて、
生きる力や幸せを授けてくださると考えられています。
そこで、お正月が近づくとしめ縄やしめ飾りを施し、
年神様を迎える準備をします。
しめ縄(注連縄)には、
神様をまつるのにふさわしい神聖な場所であることを示す意味があります。
しめ縄が神の領域と現世を隔てる結界となり、
その中に不浄なものが入らないようにする役目も果たします。
その由来は、天照大神が天の岩戸から出た際に、
再び天の岩戸に入らないようしめ縄で戸を塞いだという日本神話にあるとされ、
「しめ」には神様の占める場所という意味があるといわれています。
しめ飾り(注連飾り)というのは、
しめ縄に縁起物などの飾りをつけたものをいいます。
代表的なのが、神様の降臨を表す「紙垂」(かみしで/しで)、
清廉潔白を表す「裏白」、
家系を譲って絶やさず子孫繁栄を願う「譲り葉」、
代々栄えるよう願う「橙」などです。
もともとは、神社がしめ縄を張りめぐらせるのと同じ理由で、
自分の家が
年神様をお迎えするのにふさわしい
神聖な場所であることを示すために始まったといわれています。
しめ縄やしめ飾りを施すことで、
その内側が清らかな場所となり、魔除けにもなるため、
年神様が安心してきてくださるわけです。
● しめ縄・しめ飾りの種類と飾り方・飾る場所・向き
しめ縄・しめ飾りは、用途や地域によってじつに様々な種類があり、
大変奥が深いものです。
かつては、正月行事を取り仕切る家長がしめ縄を張っていましたが、
時を経てだんだん簡略化されていき、
玄関先、神棚などにしめ飾りを施すようになりました。
基本的には、年神様を迎える玄関先や神棚に飾りますが、
かまど神や水神など様々な神様をまつる場合もあり多種多様です。
ここでは一般的なものを紹介しますので、参考にしつつ、
地域や家のしきたりに従ってください。
【ごぼう注連】
ごぼうのような形をしたしめ縄です。
神棚向きで、神棚に飾るときは紙垂などをつけます。
普段使う縄は右へねじる「右綯い」(みぎない)ですが、
お正月のしめ縄は特別なものなので、
左へねじる「左綯い」(ひだりない)になっています。
また、古来より左を神聖、右を俗(日常)と考えるので、
神様からみたときに元の太い部分が左側になるように飾ります。
(人からみると、向かって右側に元の太い部分がきます。)
【ごぼう注連+前垂れ】
ごぼう注連に、前垂れ(わらの垂)をつけ、
裏白、紙垂、譲り葉、橙などを加えたしめ飾りです。
玄関先向きで、西日本でよく見られます。
ごぼう注連に前垂れのついたタイプ。西日本で多く用いられています。
一般的には、ごぼう注連の太いほうが向かって右側になりますが、
伊勢神宮のある三重県伊勢地方では逆向きになり、
1年中飾っておきます。
伊勢市のしめ飾りは、ごぼう注連の向きが逆。
「蘇民将来子孫之門」「笑門」などの木札がつき、1年中飾っておきます。
【玉飾り】
太いしめ縄を輪にしたものに、
前垂れ、裏白、紙垂、譲り葉、橙、海老、扇など色々な縁起物をつけたしめ飾りです。
玄関先向きで、東日本でよく見られます。
東日本に多い玉飾りは、よく見ると、後ろのしめ縄が玉のような輪になっています。
【輪飾り】
細いしめ縄を輪にしたものに、
譲り葉や紙垂をつけた小型のしめ飾り。
部屋、キッチンやトイレなどの水まわりに飾るほか、
門松と組みわせて飾る場合もあります。
最近はモダンなタイプも多く、
おしゃれなしめ飾りを手作りする方も少なくありません。
お好きなもので構いませんが、
本来の意味を考えると、わらを使ったしめ縄を用いることが大切です。
また、縁起ものには日本の文化が息づいていますので、
1つでも取り入れると良いでしょう。
● しめ縄・しめ飾りを飾る時期
しめ縄・しめ飾りは、
本来は12月13日のすす払い(大掃除のルーツ)が終わり、
年神様をお迎えするのにふさわしい場になってから飾るものでした。
このため、12月13日を正月事始めといい、
正月準備を始める目安となっています。
現代なら、大掃除が終わり、
年神様を迎える準備が整ってからしめ縄・しめ飾りを飾ります。
大掃除は年末と決まっているわけではありませんから、
13日以降早めに飾っても構いませんが、
今はクリスマスが過ぎた25日以降に飾り始める方が多いようです。
ぎりぎりにならないよう、
28日までを目安にすると良いでしょう。
なお、29日は「二重苦」「苦」に通じて縁起が悪く、
31日も一夜飾りになるので避ける風習があります。
こうして正月の年神様をお迎えし、松の内を過ぎたら外しますが、
一般的には7日(6日とする場合もあります)、
地域によっては15日(14日とする場合もあります)に外します。
● しめ縄・しめ飾りを焼く日、捨て方
左義長(どんど焼き)では、正月飾り、だるまなどの縁起物、書き初めなどを燃やします。
しめ縄・しめ飾りを外したら、
15日(あるいはその頃)に地域や神社などで行われる左義長(どんど焼き)で焼き、
正月行事に区切りをつけます。
左義長に持っていけない場合には、
神社に納めると良いでしょう。
地域によっては、しめ飾りを回収してくれるところもあります。
無理な場合には燃えるごみとして出しますが、
神聖なものですから、ほかのごみと別にしたり、
紙に包んで出したり、清酒や塩で清めたりすると気持ちが良いと思います。
出典:「AllAbout 暮らし」
( https://allabout.co.jp/gm/gc/434219/ )
●2018年12月3日 南極の日
南極の日の由来と面白い雑学、
12月14日の今日は何の日?
(上の写真を押すと、南極観測船「しらせ」のページに移動します。)
12月14日の「今日は何の日?」は
「南極の日」です。
また「南極の日」にちなんで
「南極では風邪をひかない」
「南極にも郵便局がある」など
南極にまつわる面白い雑学を紹介します。
目次
● 12月14日は南極の日
● 南極の雑学
● 南極では風邪をひかない
● 南極にも郵便局がある
● 12月14日は南極の日
今回は「南極の日」について解説していきます!
なぜ12月14日が「南極の日」なのかというと、
1911(明治44)年12月14日にノルウェーの探検家・アムンセンと4人の隊員が
人類で初めて南極点に到達したことが由来となっています。
「ロアール・アムンセン」は
主に極地へと挑んだ探検家として世界では知られています。
(注:ロアール・アムンセン(Roald Engelbregt Gravning Amundsen) ,
(1872年7月16日 - 1928年6月18日前後)は、ノルウェーの探検家。
日本では「ロアルト・アムンセン」、「ロアルド・アムンゼン」とも表記される。)
(出典:「ウィキペディア」)
1911年1月14日にアムンセン隊は
ロス棚氷の北東部にあるクジラ湾から南極大陸に上陸して、
そこにフラムハイム基地を建設しました。
その年の10月20日にはアムンセンは
4人の選抜隊と共にフラムハイム基地を出発しました。
その時は4台の犬ぞりを52頭の犬ぞりにひかせて南極横断を開始したそうです。
途中に特に荒れた天候に阻まれる事もなく好転に恵まれたアムンセン隊は順調に探検を進め、
1911年12月14日に人類初の南極点到達を果たしたのでした。
帰路も特に事故などもなく、
1912年1月25日には一人の犠牲者も出すことなくフラムハイム基地へと帰還しました。
実はこの時期には人類初の南極点到達を、
イギリス海軍大佐である「ロバート・スコット」と競っていました。
当初はスコット隊の方が進行ルートが有利だとされていましたが、
アムンセン隊に先を越されることとなります。
アムンセンは1926年には飛行船を利用して北極点へと到達し、
同行していたオスカー・ウィスチングと共に
人類史上で初めての南極と北極の両極点に到達した人物となりました。
2 南極の雑学
今回は「南極の日」にちなんで
「南極では風邪をひかない」
「南極にも郵便局がある」など
南極にまつわる面白い雑学を紹介します。
● 南極では風邪をひかない
日本に住んでいると秋や冬になって気温が下がって寒くなってくると、
乾燥することも重なって風邪をひきやすくなりますよね。
南極ぐらい寒くなればどれほど風邪をひきやすくなるのかというと、
実は南極ではほとんど風邪をひくことがないのです。
南極ではそのあまりの寒さに
ほとんどのウイルスが活動を停止するか死滅してしまうことから、
風邪をひくことはないのです。
これは北極も同じであって、
南極と北極へ行く前に風邪をひいていたら別の話ですが、
現地で風邪をひくということはほぼないそうです。
ちなみに、
風邪以外にもインフルエンザといったウイルスについても死滅してしまうそうで、
気温が低いからといって病気になりやすくなることはないそうです。
● 南極にも郵便局がある
実は南極にも郵便局があって
しかも国内料金と同じではがきを送れるって知っていましたか?
なぜ南極が日本国内という扱いになるのかというと、
南極はどこの国の領土にもなっていないからなんですね。
しかし、日本国内の郵便とは違ってかなりの時間がかかってしまい、
エアメールなどではなく船で年に一度だけ輸送を行っているそうです。
南極観測船「しらせ」という船には郵便局員が乗りこんでいて、
南極隊員から郵便を預かって日本へと運ぶこともあります。
昭和基地の住所は以下のようになっているそうです。
〒100-8799
東京都千代田区丸の内2丁目7-2 東京中央郵便局気付
「昭和基地内郵便局」昭和基地宛
以上が南極の雑学でした、いかがでしたか?
(上の写真を押すと、南極観測船「しらせ」のページに移動します。)
出典:「雑学.com」
( http://kerokero-info.com/what_today_calendar/what-today-1214-1/ )
●2018年12月3日 カレンダーの日
カレンダーの日(12月3日)の由来・意味とは?
【まとめ】どんな記念日なのか?
12月3日はカレンダーの日です。
カレンダーの日は、
カレンダーのさらなる普及と発展を目指して制定された記念日です。
さらに、カレンダーの日について理解を深めたい場合には、
下記を読んで頂くと参考になります。
目次
1 「カレンダーの日」の基本情報
1.1 カレンダーの日の制定の目的とは?
1.2 どんな由来がある記念日なのか?
1.3 誰が制定したのか?
1.4 いつ「カレンダーの日」が制定されたのか?
1.5 なぜ、太陽暦に変わったのか?
1.6 庶民は太陰太陽暦のまま・・・
2 カレンダーに関する豆知識
2.1 カレンダーの起源とは?
2.2 太陰太陽暦の誕生
2.3 太陽暦の広まり
2.4 ローマ法王がグレゴリオ暦を作った・・・
3 まとめ
「カレンダーの日」の基本情報
12月3日のカレンダーの日は、そんな由来や意味があるのか?
また、どんな記念日なのかといった点をまとめて紹介します。
カレンダーの日の制定の目的とは?
カレンダーの日は、カレンダーのさらなる普及と発展を目指して制定された記念日です。
どんな由来がある記念日なのか?
1872年(明治5年)12月2日に太陰太陽歴が打ち切られて、
翌日の12月3日が
太陽暦の明治6年1月1日になったことに由来してできた記念日です。
誰が制定したのか?
カレンダーの日は、全国団扇扇子カレンダー協議会が制定と
全国カレンダー出版協同組合連合会した記念日です。
※全国団扇扇子カレンダー協議会とは?
全国団扇扇子カレンダー協議会は、
扇子、団扇、レンダーのメーカーや販売会社で構成された業界団体です。
いつ「カレンダーの日」が制定されたのか?
カレンダーの日は、1988年(昭和63年)に制定されました。
なぜ、太陽暦に変わったのか?
太陰太陽暦から太陽暦に暦(こよみ)が変わることで、
諸外国と同じ歴を使うことが出来、諸外国と足並みをそろえることで、
文明国家として海外の仲間入りをアピールする意味もあったようです。
庶民は太陰太陽暦のまま・・・
明治5年に旧暦から新暦に変わり社会は太陽暦になりましたが、
庶民は相変わらず旧暦のままの生活をしていました。
大正、昭和に入るまで旧暦で暮らしていたようです。
その為、新暦に変わっても、
当分は、農村の豆まきなど祭日や親の命日などは、旧暦を使っていたようです。
カレンダーに関する豆知識
ここからは、カレンダーに関する豆知識を紹介します。
カレンダーの起源とは?
カレンダーの起源は、はるか昔、紀元前18世紀ごろ、
古代バビロニア帝国の時代までさかのぼります。
日本では、縄文時代です。
どのように古代のカレンダーはできたのか?
古代バビロニアでは、毎夜、僧侶が寺院の屋上に登り、
月を観測し、「月の満ち欠けが一定の周期である」ことを気付き、
新月から新月までを1ヶ月とする太陰暦が作られたようです。
太陰太陽暦の誕生
太陰暦の発見は画期的な発明でしたが、
1ヵ月の周期が29.5日と中途半端でした。
地球は太陽を焼く365日で回っているので、
3年で1ヵ月ほど、太陽とズレが生まれます。
この為、3年に1度、13ヵ月にして、日付を調整して、
太陰暦を太陽の運行に合わせたのが太陰太陽暦です。
太陰太陽暦は、3年に1度、13ヵ月になるので、
この調整が色々と問題を起こしていました。
太陽暦の広まり
古代ローマでは、エジプトで発明された太陽暦を使っていました。
太陽を基準にすることで、
1年を365日、4年に1度、366日にしていました。
ローマ軍が占領した地域では、太陽暦を使うようになり、
世界に太陽暦が広がりました。
この時期に使われていたのがユリウス暦です。
ローマ法王がグレゴリオ暦を作った・・・
ユリウス暦は、わずかに季節と歴にズレがありました。
このズレを修正するように命令を出したのが
1582年のローマ法王グレゴリオです。
ローマ法王のグレゴリオがつくらせた歴なので「グレゴリオ暦」になりました。
このグレゴリオ暦が日本で採用されたのが1872年(明治5年)です。
まとめ
カレンダーの日をもとに、カレンダーや暦(こよみ)について調べると、
今までにも色々なカレンダーが使われていたことが分かります。
しかも、世界的には紀元前の時代からカレンダーがあったことには驚きでした。
出典:「生活さいじ百科」
( https://saizi100.com/kinenbi/12/calendarnohi )