●2018年2月19日:二十四節気「雨水」

 

雪ほどける頃…二十四節気「雨水(うすい)」

 

 

 

まだ寒さが残りつつも、
雲も雪より雨を降らせ、
積もった雪も解けるようになる頃…

 

それが二十四節気「雨水(うすい)」です。

 

今年(2015年)は、
新暦の2月19日があたります。

 

この日の持つ意味、
その潤いがもたらすさまざまについてお話しましょう。

 

潤う山と育まれる命のはじまり

 

『雨水』の頃になると、
少しずつ雪が解け始めたり、
雪ではなく雨が降るようになる…。

 

枯れていた土が潤いを取り戻し、
その水が山の土を柔らかくし、
川へと流れ、海へ辿りつく。

 

そうして、
草木を始めとした
命が吹き返すのを助けます。

 

 

 

二十四節気を三つに分けた
七十二候の初候

 

『土脈潤い起こる(どみゃくうるいおいおこる)』

 

が全てを表現していると言えるでしょう。

 

また、
一年中食べている野菜に
『きゃべつ』がありますが、
この時期に収穫するものを

 

『春きゃべつ』

 

 

と言い、
冬の土の養分をしっかり含んで、
一年の中で一番
甘い味を醸し(かもし)出すのです。

 

冬野菜が
苦味で栄養を表わしていたのに比べて、

 

春の味は
甘味が特徴となるわかりやすい一例です。

 

雨水の頃の季語…「藍蒔く(あいまく)」

 

藍染(あいぞめ)の染料となる
「蓼藍(たであい)」は、
二月に種を蒔きます。

 

主な産地は
四国の吉野川沿岸です。

 

四国には、
藍染の反物に
『阿波しじら織』という織物があります。

 

 

 

江戸時代の庶民が
絹織物を着られなかったことから
綿で織られた反物です。

 

着物に仕立てても、
浴衣に仕立てても着心地がよく、
藍色に様々な色が織り込まれた
縞模様や格子模様がモダンでもあり、
懐かしみも感じます。

 

最近では
小物なども作れていて、
手に取りやすくなっています。

 

化学染料に押されて、
自然の染物は少なくなってきていますが、
できればこの先の世代にも
伝承していきたいものですね。

 

春の声を聞いて
すぐに種を蒔き、
育った葉から染料を抽出し、
糸を紡ぎ、反物(布)になる。

 

自然の恵みを纏う・使う、
ということは、
この上ない贅沢ではないでしょうか。

 

この頃にしたいこと、
キーワードは「地に足」

 

種を蒔くことに現れているように、
雨水の時期は
農耕を始める
一つの目安とされていました。

 

寒の中ごろから
立春までは
冬土用があり、
土を触ることを忌まれていましたが、

 

立春から二週間ほどを過ぎて、
土に潤いが戻り、
やっと土に手を触れることが
できるようになるのですね。

 

また、
春めくこの頃は
江戸時代から

 

『お伊勢参り』

 

 

 

 

が盛んにおこなわれていたようです。

 

雪や北風に
足元を止められる心配が少なくなり、
歩きやすくなることが理由とされていますが、

 

神様にお詣りするという
一大イベントを
本格的な稲作の始まる前に…
ということもあったのではないかな…
と思います。

 

 

 

両方とも、
「地に足をつけて」
行うことであるのも不思議な繋がりです。

 

そして、
日本の四季には、
いつも
五穀豊穣の祈りが
人と寄り添っている、
そう感じる節目です。

 

 

出典:日本気象協会(https://tenki.jp/suppl/saijiki_shuuka/2015/02/18/1711.html)

 

 

 

 

 

 

●2018年2月14日:バレンタインデー

 

 

 

 

Q)バレンタインって、何のこと?

 

 

A)バレンタイン・デーは、
英語では「Saint Valentine’s Day」、
訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。

 

 

 

 

つまり、
バレンタインというのは、
人の名前なのです。

 

どんな人だったかというと・・・。

 

西暦3世紀のローマでのことです。

 

皇帝クラウディウス二世(在位268−270)は、
若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、
手を焼いていました。

 

その理由は
彼らが自分の家族や愛する者たちを
去りたくないからだと
確信するようになったクラウディウスは、
ついに結婚を禁止してしまったのです。

 

ところが、
インテラムナ(イタリア中部にある町で、
現在のテルニ)の
キリスト教司祭であるバレンティヌス、
英語読みではバレンタインは、
かわいそうな兵士たちをみかねて、
内緒で結婚をさせていました。

 

それが皇帝の知るところとなったから大変です。

 

 

しかも、
当時のローマでは、
キリスト教が迫害されていました。

 

皇帝は、
バレンティヌスに罪を認めさせて
ローマの宗教に改宗させようとしましたが、
バレンティヌスはそれを拒否しました。

 

そこで、投獄され、
ついには西暦269年2月14日に、
処刑されてしまったということです。(270年という説もあります)。

 

 

Q)バレンタインデーはどのように始まったの?

 

 

 

 

A)ローマでは
ルペルクスという
豊穣(ほうじょう)の神のために
ルペルカーリアという祭が
何百年ものあいだ行われていました。

 

毎年2月14日の夕方になると、
若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が
入れ物に入れられ、

 

祭が始まる翌15日には
男性たちがその紙を引いて、
あたった娘と祭の間、
時には1年間も
付き合いをするというものです。

 

 

 

翌年になると、
また同じようにくじ引きをします。

 

496年になって、
若者たちの
風紀の乱れを憂えた
当時の教皇ゲラシウス一世は、
ルペルカーリア祭を禁じました。

 

代わりに、
違った方法のくじ引きを始めたのです。

 

それは、
女性の代わりに聖人の名前を引かせ、
1年間のあいだ
その聖人の
人生にならった生き方を
するように励ますものです。

 

そして、
200年ほど前の
ちょうどこのお祭りの頃に
殉教していた聖バレンティヌスを、
新しい行事の守護聖人としたのです。

 

次第に、
この日に恋人たちが
贈り物やカードを交換するようになっていきました。

 

 

 

 

 

Q)バレンタイン・カードの始まりは?

 

 

 

 

A) バレンティヌスは、
獄中でも恐れずに
看守たちに
引き続き神の愛を語りました。

 

言い伝えによると、
ある看守に目の不自由な娘がおり、
バレンティヌスと親しくなりました。

 

そして、
バレンティヌスが彼女のために祈ると、
奇跡的に目が見えるようになったのです。

 

これがきっかけとなり、
バレンティヌスは処刑されてしまうのですが、

 

死ぬ前に

 

「あなたのバレンティヌスより」

 

と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 

そのうち、
若い男性が
自分の好きな女性に、
愛の気持ちをつづった手紙を
2月14日に出すようになり、
これが次第に広まって行きました。

 

現存する最古のものは、
1400年代初頭に
ロンドン塔に幽閉されていた
フランスの詩人が妻に書いたもので、
大英博物館に保存されています。

 

しばらくたつと
カードがよく使われるようになり、
現在では男女とも、
お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。

 

バレンティヌスがしたように

 

「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)

 

と書いたり、

 

「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)

 

と書いたりすることもあります。

 

現在アメリカでは、
クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

 

 

Q)どうしてチョコレートをあげるの?

 

 

 

 

 

A) 実は、
女性が男性にチョコレートを贈るのは、
日本独自の習慣です。

 

欧米では、
恋人や友達、
家族などがお互いにカードや
花束、お菓子などを贈ります。

 

では、
チョコレートはどこから出てきたかというと、

 

1958年に
東京都内のデパートで開かれた
バレンタイン・セールで、
チョコレート業者が行った
キャンペーンが始まりだそうです。

 

そして、
今ではチョコレートといえば
バレンタイン・デーの象徴
のようになってしまいました。

 

クリスマスもそうですが、
キリスト教になじみの薄い日本では
本来の意味が忘れられて、
セールスに利用されがちのようですね。

 

自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、
実践したバレンティヌス・・・。

 

今年のバレンタイン・デーは、
そんな彼のことを思い出してください。

 

 

出典:「The Family International」(http://www.family.gr.jp/valentine/valentine.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

●2018年2月7日:北方領土の日

 

「北方領土の日」って?

 

北方領土の返還を求める多くの団体などが
「北方領土の日」を設けることを要望していたことから、
政府は
1981年(昭和56年)1月6日の閣議
2月7日を「北方領土の日」
とすることを決め、
北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め
全国的な北方領土返還要求運動の
一層の推進を図ることとしました。

 

 

「1月6日の閣議」?

 

ちょっと難しいですが、
1981年1月6日の閣議では、
次のような事が決められました。

 

 

「北方領土の日について」

 

1 趣旨

 

北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、
全国的な北方領土返還運動の
一層の推進を図るため「北方領土の日」を設ける

 

2 期日

 

 毎年2月7日とする。

 

3 行事

 

北方領土問題関係機関、
民間団体等の協力を得て
集会、講演会、研修会
その他この日の趣旨に沿った行事を
全国的に実施するものとする。

 

「北方領土の日」設定の理由書

 

我が国の固有の領土である

 

歯舞群島、
色丹島、
国後島及び
択捉島

 

の北方四島は、
戦後35年を経過した今日、
なおソ連の不当な占拠下にある。

 

これら北方領土の一括返還を実現して
日ソ平和条約を締結し、
両国の友好関係を
真に安定した基礎の上に発展させる
という政府の基本方針を支える最大の力は、
一致した粘り強い国民世論の盛り上がりである。

 

最近、
北方領土問題に対する国民の関心と理解は、
着実に深まりつつあるが、
全国的観点にたてば、
なお一層の啓発を図る必要がある。

 

このような現状にかんがみ、
毎年2月7日を「北方領土の日」とし、
この日を中心として
全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、
この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、
全国的な北方領土返還運動の
一層強力な推進を図ることといたしたい。

 

なお、
2月7日は、
1855年(安政元年12月21日)
日露通好条約が調印された日である。

 

 

 

どうして「2月7日」なの?

 

 

この2月7日は
1855年(安政元年)
伊豆の下田において
日本とロシアが『日露通好条約』を結んだ日で、
択捉島とウルップ島の間に国境が定まりました。

 

この条約により
択捉島から南は
日本の領土として
国際的にもはっきりと決められたことから、
歴史的な意義を持っている日なのです。

 

平和的な話し合いの中で
領土の返還を求める
北方領土返還要求運動推進するという目的に、
最もいい日ですよね。

 

 


1855年日露通好条約に基づく国境線

 

 

 

何かこの日にやってるの?

 

毎年、
北方領土の日には、
東京において
「北方領土返還要求全国大会」
が開催されるのをはじめ、
北海道や多くの民間団体によって
「北方領土の日啓発実行委員会」が組織され、
この2月7日を中心に多彩な行事が行われています。

 

また、
北海道で一番大きなイベントとしては、
毎年、
札幌雪まつり大通会場で
「北方領土フェスティバル」が開催され、
アトラクションなどを行っています。

 

この他にも
全道各地で
写真展や署名コーナーなどが設置されるほか、
テレビCMなども行っています。

 

出典:「北海道」公式ホームページ(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hp/postercontest/what.htm

 

 

 

●2018年2月3日:節分

 

節分のいろは

 

節分の由来、鬼の意味、豆まきのしかた、恵方巻の食べ方、鰯や柊など、節分を楽しむためのいろはをお届けします!

 

 

イベントとしても楽しめます♪

 

 

2月3日(年によっては4日)は節分です。

 

節分に豆まきをしたり恵方巻を食べる方はとても多く、
数ある年中行事の中でも人気が高いものです。
節分は皆の幸せを願う楽しい行事!

 

どうせやるなら、
意味や方法をしっかり押さえておきましょう。

 

 

節分の由来

 

そもそも節分とは何でしょう?
本来、節分は季節の分かれ目である
「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいい、
年に4回ありますが、
これが室町時代あたりから
立春の前日だけをさすようになりました。

 

なぜなら、
春を迎えることが新しい年を迎えることでもあったため、
最も重要だったからです。

 

昔は、
季節の分かれ目には
邪気が入りやすいと考えられていました。

 

中でも重要なのは、年の分かれ目です。
旧暦では新年が春から始まるため(※)、
立春の前日の節分は、
大晦日に相当する大切な節目だったのです。

 

※立春のころに元日がめぐってきました。
※立春は二十四節気の最初の節気。
 二十四節気のことを知ると、節分の重要性がわかります 

 

古代中国では、
大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行事がありました。
これは、桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事です。

 

これが奈良時代に日本に伝わり、
平安時代に宮中行事として取り入れられました。
その行事のひとつ「豆打ち」の名残が「豆まき」で、
江戸時代に庶民の間に広がりました。

 

豆を“打つ”から“まく”に変わったのは、
農民の豊作を願う気持ちを反映し、
に豆をまくしぐさを表しているからです。

 

こうして、
新年を幸多き年にするために、
災いをもたらす鬼を追い払う節分行事が定着していきました。

 

 

 

鬼を知ろう

 

 

 

では、なぜ架空の鬼をやっつけるのでしょう?まずは敵を知らないといけません。

 

■なぜ鬼をやっつけるの?

 

鬼は邪気や厄の象徴とされ、
形の見えない災害、病、飢饉など、
人間の想像力を越えた恐ろしい出来事は
鬼の仕業と考えたからです。
「おに」という言葉は「陰(おん)」に由来し、
「陰」とは目に見えない気、主として邪気をさし、
それが「おに」なのです。
また、隠れているこわいものとして
「隠人(おんにん)」が変化したという説もあります。

 

■なぜあんな格好をしているの?
十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。
鬼が住むのは鬼門である丑寅の方角なので、
鬼は牛(丑)の角と虎(寅)の牙をもち、
虎皮の服を着ているのです。

 

■鬼はいつ、どこからやってくるの?

 

鬼門である丑寅は、
時刻にあてはめると深夜2時〜4時ぐらいで、
方角でいうと北東となるため、
真夜中に北東からやってきます。

 

では、鬼をやっつけるにはどうすればいいのでしょう?

 

 

 

豆をまく理由

 

 

鬼が弱いのではなく、豆がスゴイんです。

 

節分の豆まきは、
災いをもたらす鬼を追い払い、
新年に福を呼び込むための行事ですが、
そもそも豆で鬼をやっつけることができるのでしょうか?

 

大豆は五穀のひとつで穀霊が宿るとされており、
米に次いで神事に用いられてきました。
米よりも粒が大きく、
穀霊で悪霊を祓うのに最適であることや、
魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて
魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じます。

 

 

 

豆まきのしかた

 

ここでは、典型的な家庭版豆まきのノウハウをご紹介します。

 

■豆の準備は?

 

お供えがてら飾ってみましょう♪

 

豆まきに用いる大豆は、
必ず炒り豆でなくてはいけません。

 

これは、
拾い忘れた大豆から芽が出てしまうと縁起が悪いためで、
「炒る」が「射る」にも通じます。

 

つまり、
「魔目」を「射る」ことで「魔滅」となるわけです。

 

炒った大豆を「福豆」といいます。
節分用に市販されているものは、
大概炒ってあるのでそのまま使えますが、
念のためご注意ください。

 

さらに、
福豆は神様の力が宿るように、
豆まきをするまで神棚にお供えしておきます。
神棚のかわりに、
タンスなど
目線よりも高いところに
白い紙を敷いてお供えしても構いません。

 

また、
枡に入れてお供えがてら
節分のディスプレイとして楽しんでもいいでしょう。

 

また、
大豆ではなく落花生を使う地方もあります。
これは、
小さなお子さんがいる家庭でも応用できそうですね。

 

■いつ豆まきをすればいいの?

 

鬼は真夜中にやってくる(1ページ目参照)ので、
豆まきは夜のほうが効果的です。

 

また、
できるだけ家族全員揃ってやりましょう。

 

■誰がまくの?

 

一家の幸せを願う行事なので、
本来は家長の役目です。
また、
厄年の人、年男や年女がいる場合には、
その厄祓いの意味でも適任です。

 

とはいえ、
家族のイベントという意味合いも強いので、
家族全員でまき、
それぞれの厄を祓っても構いません。

 

■どうやってまくの?

 

口上、回数、順番などは地方によって異なり、
珍しい事例もたくさんあります。

 

窓を開けて
「鬼は外!」
と外へ向かってまき、
鬼が戻らないようすぐに窓を閉めてから、
「福は内!」
と室内にまきます。

 

奥の部屋から順番に、
最後は玄関までまいて、
家中の鬼を追い出します。

 

胸のあたりで枡を持ち、
そこからまくような感じで下手投げをすると、
豊作祈願の豆まきに通じ、
心に潜む鬼も祓えます。

 

■豆はいくつ食べるの?

 

そろそろ食べきれないお年頃なら、
美味しい福茶でどうぞ

 

豆まきがすんだら、
1年間無事にすごせるよう願いながら、
自分の年齢よりも
1つ多く豆を食べましょう
(新しい年の厄払いなので1つ多く食べる、
いわゆる 数え年として1つ多く食べる、
もともとが
数え年と考え
新年の分を加えて2つ多く食べる、
満年齢のまま食べるなど、
地方によって異なる場合もあります)。

 

福豆を食べることで邪気を祓い、
病に勝つ力もついて福を呼ぶとされています。

 

全部食べきれないという方は、
「福茶」を飲む方法でも構いません。

 

 

 

 

恵方巻き(丸かぶり寿司)の由来

 

 

 

恵方巻は、
大正時代に
大阪の商人や花街で発祥した
風習に由来します。

 

当時は、
節分の時期に
おいしく漬けあがったお新香を海苔巻きにし、
商売繁盛を願って食べるというもので、
景気づけの意味あいが強かったようです。

 

やがて、
それを大阪の海苔や寿司業界が関西地方に広め、
メディアやコンビニなどの流通業界の影響もあり、
現在は全国的な広がりをみせています。

 

恵方巻は、
その年の恵方を向いて丸かじりすると、
願い事が叶ったり幸運に恵まれ、
無病息災や商売繁盛をもたらすとされています。

 

さらに、
縁起よく七福神にちなんで7種類の具を入れ、
福を巻き込んだ太巻きを食べると良いとされ、
福を逃さぬよう包丁で切ったり、
途中で喋ったりしてはいけません。

 

また、
太巻きを
鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて、
鬼退治ととらえる説もあります。

 

恵方巻の食べ方

 

1.巻き寿司をひとりにつき1本準備する。

 

……福を巻き込んだ巻き寿司なので、
包丁を入れると縁が切れたり、福が逃げてしまいます。

 

2.その年の恵方を向く。

 

……恵方とは、その年の福を授ける年神様(歳徳神)がいる方角で、
その年最も良い方角とされています。

 

3.願いごとをしながら、黙々と最後まで食べる。

 

……しゃべると運が逃げてしまうため、
食べ終わるまで絶対に口をきいてはいけません。

 

 

 

 

鬼の苦手な鰯(いわし)と柊(ひいらぎ)

 


これが、鬼も逃げ出す「焼嗅(やいかがし)」です。

 

節分に欠かせないものがまだあります。

 

鬼は、
鰯(いわし)の生臭い臭いと、
柊(ひいらぎ)の痛いトゲが大の苦手なのです。

 

そこで、
鰯の頭を焼いて
臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、
それを玄関先にとりつけて、
鬼が入ってこないようにする風習があります。

 

これを
「焼嗅(やいかがし)」「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」などと呼びますが、
昔から臭いの強いもの、
トゲのあるものは
魔除けや厄除け効果があるとされています。

 

今では
玄関先で見かけることも少なくなりましたが、
節分のディスプレイには欠かせませんね。

 

また、
節分の食卓に鰯が登場することも多いのですが、
鰯を用いる本来の意味も忘れないようにしたいものです。

 

出典:「暮らしの歳時記」(https://allabout.co.jp/gm/gc/220741/)

 

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