雑学ネタ帳 「相 撲 甚 句」
1相撲甚句の起源
・甚句の起源は、元禄時代にはやった「甚九郎節」、
「地ン句」となまったもの、神に捧げるうたの意味
での「神供」のあて字とする説など諸説がある。
・甚句の種類には、仕事うた(山甚句、ね草刈り甚句)、盆踊りうた(盆踊り甚句)、騒ぎうた(宴席での騒ぎ甚句)などがある。
・相撲甚句は、幕末から明治にかけて花柳界で流行した本調子甚句や二上がり甚句を、相撲取りがお座敷で覚えて巡業ではやらせたものである。
・この相撲甚句から、名古屋甚句、熊本甚句(おてもやん)、会津磐梯山、隠岐の島の相撲取り節、熊本のどっこいせ節(一名角力取り節)などが出ている。
・地方の神社などで行われる祭礼では唄にあわせて相撲踊りが行われたりする。また、土俵の上で相撲の攻守の四十八手を見せながら甚句を歌っていたが、今ではこの形はない。
・相撲甚句には大きく分けて「まくら唄」、「本唄」、「はやし」があり、まくら唄には「前唄」と「後唄」がある。楽器や伴奏はなく、「ホイ」、「ドスコイ」という合いの手に合わせ、七五調の歌詞で歌う。民謡と深いかかわりの中から生まれ、歌われ、これからも後世の人々に歌い継がれていくものである。
2 相撲甚句の歴史
◎「相撲甚句は踊りから」
・相撲甚句の掛け声の「ドスコイ、ドスコイ」は、一説には「大きい・太い」
という意味の方言であるとされている。
・戦前はドッコイ、ドッコイであった。これが「アー、ドスコイ、ドスコイ」となったのは、かつて花街で盛んに歌い、踊られた
二上がり甚句(ニアガリ ジンク)の「トコ、ドスコイドスコイ」が、いつの間にか力士までこう歌うようになったのではないかという説あり。「トコ、ドスコイドスコイ」が、いつの間にか力士までこう歌うようになったのではないかという説あり。
・昔は甚句そのものを聞かせるというよりも、相撲四十八手の型を披露する意味もあったようである。今でも女相撲が行われる長崎、宮城、そして越後では女力士が土俵の上で輪になって、「ドスコイ、ドスコイ」の掛け声をかけている。これは一種の踊りであり、その仕草は四十八手の型になっている。輪の中央に唄い手がいて、周りにいる踊り手突っ張りや押し、四股の型までやっていることから、昔の甚句は踊りが中心だったことがわかる。それがいつからかわからないが、前に出て、後ろに下がり、二つ手を打つぐらいという簡素な動きとなった。現在の相撲甚句は四十八手の型どころか、踊りにもなっていない。いつの間にか踊りよりも、歌が中心になっていったのではないかと考えられる。
出典:日本相撲甚句会 | 相撲甚句の歴史、相撲甚句
https://sumoujinku.com/、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2%E7%94%9A%E5%8F%A5